講演者: 廣中直行先生(株式会社LSIメディエンス 顧問)
日 時: 2017年2月20日(月) 15:00~16:30 (延長する場合があります)
場 所: 関西学院大学上ケ原キャンパス 図書館ホール
タイトル:快情動とアディクション
要旨:
快と不快は最も基本的な情動であり、快とはどのようなものかは誰しも漠然と知っています。しかし、快を科学的に研究するのは困難です。快情動を的確にあらわすマーカーは何か、その基盤となる神経回路はどのようなものかといった基本的な問題に対する答えはまだ出ていません。いつか決定的な答えが出るとも思われないのですが、マーカーの探索は着実に進んでいます。動物におけるマーカーのひとつとして注目されているものに、ラットの超音波の発声があります。その研究例をいくつか紹介します。また、神経回路としては中脳-辺縁系のドパミン神経、いわゆる報酬系が注目されています。報酬系は嗜癖(アディクション)との関係が深い神経系でもあります。それでは、快を体験しすぎると嗜癖になってしまうのでしょうか? ここには単純に「その通り」とも言い切れない、気分のアップダウンという問題があります。快体験から嗜癖に至るプロセスについて、現在考えられていることを議論したいと思います。
◯参加に際し,文学部・総合心理科学,文学研究科・総合心理科学専攻の方の事前連絡は必要ありません。
それ以外の方は,お手数ですが、場所・時間変更などがあった場合の連絡のため高橋良幸(fjq61112@kwansei.ac.jp)までご一報いただけると幸いです(必須ではありません)。
報告:
快情動がどのように定義されうるのか、そして快情動を伴うような化学物質の乱用であるアディクションがどのように引き起こされるのか、動物を用いた行動実験や薬理学的・神経科学的アプローチによって得られた知見をご紹介いただき、今後の展望を含めてご講演いただいた。
情動は生物学的価値のある刺激に対する反応であり、他者に自身の状況を伝えるための信号である。情動の基本的な要素として快・不快といった枠組みが考えられてきた。動物実験においては、不快な情動について多くの知見が得られてきたが、快情動に関する研究はそれと比較すると進んでいない。快情動の指標(マーカー)がよくわかっていないからである。例えば、快情動を経験するとヒトの血中ドパミンやβエンドルフィン濃度が上昇することが報告されている。さらに動物では、美味な食物が与えられたときや依存性薬物を投与したときにドパミン濃度が上昇することが報告されている。これら化学物質が快情動のマーカーと考えられているが、化学物質の動態はあくまで情動を喚起するような神経回路が作動した結果であるため、直接的なマーカーであるとはいいがたい。したがって、近年では快情動を喚起するような神経回路の同定が試みられている。
ラットの超音波発声は情動の行動指標として近年注目を集めている。特に50 kHzの周波数帯域での発声は快情動を反映しているのではないかと考えられており、依存性薬物を自己摂取した際やラットをくすぐることによって発声が確認されている。さらに、このような超音波発声をプレイバックすると、側坐核からドパミンが放出される。側坐核は報酬系と呼ばれる脳領域の一つであるため、報酬系と快情動との関係性に注目が集まっている。ただし、報酬系の活性化は快情動の予期によっても生じることが知られているため、実際の快情動の体験を反映しているものではなく、報酬予測誤差を処理しているとも考えられる。予測とのずれがその後の行動をどのように変えていくかという点で、報酬系の神経活動は心理学における学習理論ともよくマッチしており、報酬系と快情動の関係性を明らかにするために心理学が担うべき役割は大きい。
化学物質に対する嗜癖(アディクション)については、行動薬理学の分野が中心となって精力的に研究がおこなわれてきた。その結果として、側坐核や腹側被蓋野といった報酬系においてアディクションの発現機序がある程度解明されている。薬物経験を繰り返すと報酬系の活動は鈍くなり、その薬物によって得られる充足感が減少するため、より多くの充足感を得るために摂取量が増大していく(アロスタシス説)。アロスタシス説は相反過程理論という古典的な理論と深い関係があり、心理学が果たすべき役割の大きさがうかがえて興味深い。物質使用によって引き起こされた快情動の経験によって生じる非適応的な認知判断の歪みがアディクションである。さらに、化学物質に嗜癖する脳内メカニズムは特別なものではなく、食物や性接触など生存に必要な報酬を得るためのメカニズムと同じ構造である。これらの点から、快情動が認知機能に及ぼす影響についても考慮していく必要があるだろう。
快情動は、ある現象の一つの側面であり、総合的にその現象をとらえていく必要がある。そのためには条件づけ、習慣形成、報酬予測誤差、意思決定などといった各種の課題に対して神経科学、薬理学、心理学や精神医学による総合的アプローチが必要であろう。
講演では、オペラント条件づけからボルタメトリといった、心理学的実験法から電気化学的分析法まで幅広いアプローチによって得られた知見をご紹介いただいた。情動概念の中でも特に快情動に関しては明らかになっていない部分が多く、この点を明らかにするために心理学が果たすべき役割とは何かを考えさせられる内容であった。
(文責:高橋良幸)